未来への希望の木を植える④

オランウータンのリハビリセンターで昼食を頂いて車で1時間あまり移動し「生命の森づくり」の現場に移動しました。

この場所は2000年に初めて訪問した焼畑を繰り返し、最後は1997~8年の大きな山火事で被災し、自然が土砂の流出を防ぐために「アランアラン」というイネ科のススキのような草の繁茂した土地でした。位置的にはバリックパパン市からサマリンダ市に向かう道路の30kmのところです。

この道路は第二次世界大戦の終盤にバリックパパンを連合軍に攻撃されて日本軍がジャングルに敗走した道路でその道は当時「地獄街道」と呼ばれていたそうです。

※地獄街道の話=元海軍 川崎司郎さんの話より引用

1945(昭和20)年8月、ボルネオ島(現インドネシア)東岸のバリクパパン。海軍第21糧食生産隊の製糧士だった川崎志郎さん(88)=杵島郡白石町=は泥と汗にまみれながら、120キロ離れた街・サマリンダを目指し、密林の中を急いでいた。

 起伏が激しいうえ、雨期でぬかるんだ獣道を進む足取りは重かった。「腐臭がひどく、離れていても死体があるのが分かった」。機銃掃射を受けて絶命した兵士、川岸には水を求めて息絶えた人…。あちこちにウジのわいた死体が横たわっていた。

 疲れ切った仲間たちはマラリアや赤痢、かっけなどに冒されていた。いつ自分が同じ立場になってもおかしくなかった。「まさに死の行軍だった」

植林予定地として案内をされてこの地に立った時は、単に「アランアラン」の広大な草原でした。自然の息吹に満ちた熱帯雨林の面影もない想像を超えるような目の前の情景に「身震いを」覚えました。「木を伐り出す」という「人間の業」の罪深さを感じたからでしたが、その背景には第二次世界大戦の「死の行軍」敗走された軍人の皆さんの「無念」があったからではないかと感じるようになりました。

この土地でご縁を頂いて植林をさせていただくことに先人への感謝を感じながら取り組ませて頂いています。

「アランアラン」という草は世界最強の雑草とよばれ、根っこをびっしりとはびこらせるために他の植物を寄せ付けない強靭さがあります。人間がこの地で植林をするためにはこの草を如何に制御しながら植えた木を育てるかが大きな課題となりました。

それに加えて2004~5年ごろから気候変動の影響によるエルニーニョのたび重なる来襲のより雨の少ない時期が長くなり植林したチークの成長に大きな影響を与えました。そのためにその後も当初の予定の成長に及ばず緩やかな成長になっています。

手入れをしながら時の経過を待つしかないという状況になっています。この事態を打開するために空いている土地に早い成長性が期待できる「樹種」をこれまで植林していない土地に植林する試みにも取り組んでいます。

今回ツアー参加の皆さんに「奇跡の木」よばれる「モリンガ」の植林を応援していただきました。この樹種は2015年12月から試験的に植林をしてきて現在まで累計で2500本植林しております。この木はマメ科の植物で窒素を固定してくれすでに植林しているチークの成長にもいい影響を与えてくれるのではないかと考え、チークの植林地の間にも植林を行って参ります。今回のボランティアの皆さんに植林地の間にモリンガを植えていただきました。

今後1年以内に2mほどに育ち、開花結実しますので、葉っぱの収穫や種の収穫につなげて地元民の収入機会に繋がるように育てて行きます。

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2016年12月13日モリンガの樹間植林
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2016年12月チークの樹間にモリンガを植える
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2016年12月モリンガの小さな苗をうえる
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2016年1月に植えたモリンガの2016年9月の状況です。高さ2mに育ち実もつけていました。この調子で育てば地元の皆さんの新しい収入機会に繋が得られると考えています。

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